だが心は清らか

私がオペラ座を繰り返しみるようになったきっかけでもある高井さんファントムはもう見られないという現実にようやく向き合えるようになったので、横浜公演に。

記憶の混同は否めないのだけれど、当時とは全く別物として新鮮な気持ちで観られたので書き残しておきたい。

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【prologue〜overture】

あまりに長いこと観ていなかったので、「落札」の一言からはじまるのもすっかり忘れていた。

シャンデリアが登って行くのとあわせて、舞台上もチカチカとフラッシュが繰り返され何やら不穏な空気を感じさせる。

 

 

【hannibal〜think of me】

河村さんカーラ、私が足繁くオペラ座に通っていた10年ほど前からいらっしゃるのだと思うのだけど、未だプリマドンナでご健在とは恐るべし、、そして増田さんアンドレまで、、当時は青木さんや平良さんフィルマンとのペアで何度も拝見しまして。今回の佐藤さんフィルマンはお若めなこともあり、より扱いに困っている気苦労の多そうなアンドレにお見受けしました。

カーラの「ええよくある異常なことなのよ」の台詞が控えめになっていたのにはびっくりした。プロモーション動画でも切り取られるようなフレーズだったから尚更。

 

そして初めまして藤原さんクリス。

小柄でまだ垢抜けない雰囲気がおありで、ぱっと見苫田さんクリスを思い出す。海外だといわゆる成熟した女性がやられる事も多いけれど、ファントムの声に導かれてしまったり父の姿を重ねたりと空想に耽る未熟な心の持ち主という意味ではこの「垢抜けなさ」が肝だなと。くせがなくすっと耳に入ってくるお声と、音程もビブラートも心地よい歌唱で、こんな有望な子が自分の思い通りに動こうものならそりゃファントムも目をかけるよなと。

そういや以前ってハンニバルのバレエシーンで、クリスはポワント(爪先立ち)免除されていた気がしたんだけれど、藤原さんは忠実にやられるのね。

 

宇都宮さんラウルも初見(というか今回メインの御三方は全員初見)。第一印象はガタイいいなと。身長もありそうだけれど、とにかくがっしりしていらっしゃる。声量もあるし声質は確かにラウルだなと納得できる。ビブラートが佐野さんのようにかなり細かいのだけれど、それゆえなのか時折音程が定まらないようにも聞こえてしまう事もあった。今期からのキャスティングということでまだこれから化けるのかな。

 

 

【angel of music〜the phantom of the opera

メグの声質かな、藤原さんクリスとのデュエットだとお声ののっぺり具合が気になってしまったな、、ポップスよりというか。バレエ枠の1人でありながら歌唱シーンも多くて、なかなかキャスティング大変な役所なんだろうなと思うけれど。ちなみに「お稽古ばっかり、ロンデジャンプねぇ」の台詞はいじけて反抗期丸出しなメグで好きだった。

 

清水さんはこれまでノートルダムやBBなどキャスティングされている演目は観ていてもなかなか縁のない方だったので、ファントムで拝見できることをとても楽しみにしていた。まず声量がすごい。エコーや音響の力もあろうが、それにしてもよく通り響くお声。予感はしていたがこれは好きな感じかも。後続曲への期待が高まる。

そういやラウルが戻ってきた後の「エンジェル?!」ってちょっとした決めポーズチックなシーンと思っていたんだけれど、その前に暗転したのは正解だったのか?

 

クリスのハイトーンボイスパートでファントムが仮面から髪にかけて撫で付けるシーンがあり、今までこの仕草ってクリスを真っ直ぐに見つめ妖しい笑みを浮かべる画が強く印象に残っているんだけれど、清水さんはその歌声に酔いしれるように体を折り「そう、まさにこれだ!」と言わんばかりの興奮気味なファントムに見えた。そういやここでの高井さんのマント捌きは華麗だったな、、

 

 

【music of the night〜怪人の隠れ家】

曲名英語で打つのがしんどくなってきたのとあまり馴染みがないので。MOTNは「心の赴くまま」の箇所にスポット当てられがちだけれど、清水さんは中低音が妖艶で深みのある響きが魅力的。高音パートもそれなりに多いけれどやはりファントムはバリトンの艶やかなお声でないと。「私に触って欲しい」の箇所、歴代ファントムってクリスの首から胸にかけて触れていたのが、清水さんは(今期は?)下腹部から胸にかけてになっているのね。前者の方が表現としては露骨だなと思っていたけれど、動きを逆にするだけでこんなにも色気が増すものなのか。

クリスが気絶したとき一瞬狼狽えるような仕草を見せたあと優しくマントをかけられ触れようとしたのがとてもよかった。これまで拝見したファントムと比べると清水さんは若く、ゆえに不器用だけれど、そんな人柄でもクリスへの想いは嘘偽りないのだろうなと感じる一コマだった。

 

仮面を取られたあと、ああして右手で顔をおさえるのは前回からだっけ?以前から客席とは反対側には向けられていたけれど下手側だとお顔が見えてた記憶があるので、ああしてひた隠すことで後半ドンファンのくだりで初めてその顔を見る客席にはよりインパクトがあると思う。

ただテンポね、、あれは気になるな。好みの問題かもしれないけれど、「待て、何をするかこいつめ」からのくだりがスローテンポすぎる。紳士的に振る舞っていた怪人が仮面を取られた途端に豹変するという重要なシーンなのに、歌を聞かせることに重きをおきすぎているのか、感情と歌唱がチグハグ。感情が歌唱を待っているというか。これは本国の方針なんだろうか、、いやそれとも、、、

 

 

【all i ask of you】

これは現時点の感想だけれど、宇都宮さんラウルってアナ雪のハンスみがあるというか、つまり実は黒幕で裏切られても驚かないような打算的な面が結構色濃く見えているというか。だからクリスを使ってファントムを誘き出す提案をするシーンとかは物凄いしっくりくるんだけれど、クリスへの愛情よりも、なんかクリスの好意を物にするために動いちゃってない?って。ファントムとクリスの関係性に介入するだけのパワーというか愛情はまだ秘められているように感じたので、これから深めていくのかしら。岸さんラウルが愛情深いラウルだと小耳に挟んだのでぜひ拝見したい。

横浜ではペガサス像(ずっとそこにいたの?)の影に隠れるファントム、実はずっと間近で2人のやりとりを見ていたことがわかる演出で残酷だけれど、次の「これほどの辱めを」にスムーズに繋がる演出だなと感心した。清水さんファントムは1幕ラストに相応しい迫力、声量がお見事。雷の演出なんて前からあったかしら。

恥ずかしながらなぜファントムがクリスの舞台でシャンデリアを落下させるのか(下手したら危害を加える形になるかもしれないのに)腑に落ちてなかったんだけれど、その時点でのファントムの怒りの矛先はあくまで自分の恩を仇で返したクリスであってラウルを消そうという発想ではないんだな。というかそれでクリスが怪我をする、下手したら命を落とす可能性を無視してるということから、いっときの感情に任せて行動してることの描写なのだなということに気づく。 

 

 

【墓場にて】

いまだに納得できていないのは墓場のシーンが三重奏になったことね、、恐らく本国に寄せて数年前からこうであろうが。

このシーンはファントムとクリスが結局は惹かれあってしまうという意味を強調する意味合いでもデュエット→ラウル乱入が良かったのに、三重奏になることでツッコミどころが増えてはいないだろうか。

いやいやラウルさん、あなた文句言ってないで助けなさいよとか、そもそもこの切っても切れぬ2人の関係に水をささんでよとか、それぞれが異なる旋律・歌詞を歌うのでカオス状態に。こういうこというと懐古厨とか言われるんだろうな。

あと個人的にはあの火の玉が強気な言葉とは裏腹にしょぼくてツボなんだよな。未だしょぼさが現在でちょっと安心した。

そういやここちょっと歌詞変わったのかしら。「いつも温かく優しかったあなた、今は冷たくてお墓の中」が逆のフレーズに。愛情深い父であったことを強調したいのかな。

 

 

【the point of no return

おお、これもゆったりテンポだ、、最初はいいと思う、虎視眈々と機を狙っているようで。ファントムだと分かった後はもうちょい緊張感がある方が好きだな。ゆっくりだと重厚感は増すのでそれはそれで良かったけれど、役を全うし「もはや退けない」と歌いつつも本心は今すぐにでもラウルの場所に戻りたいクリスの葛藤と、ついに待ち望んだこの時が来たというファントムのはやる気持ちとを表すのにはもう少しテンポ早めが好きだなと。

清水さんファントムは美声は勿論なんだけれど、抑揚で惑わすタイプだなとこの曲を聞いて強く思う。

 

 

【怪人の隠れ家】

藤原さんクリスの「醜さは顔にはないわ」の一言をかけるシーン、変に哀れみの表情をするでもなかったのが個人的には真実味があったなと感じた。一幕のぼうっとした少女から、はっきりと芯のある女性に成長していく。ファントムと距離を置くのは、洗脳が解けたからというのも一つあるけれどやはりクリスの成長というか自立心が大きいのだなと、藤原さんクリスを見て感じた。

クリスにキスされた後の清水さんファントムは、髪を撫でればいいのか抱きしめるべきなのか、こんな時どうすればいいのかわからないというような逡巡があり、それがまたファントムの不器用さやそこに至るまでの生い立ちを感じさせる。そして代わりにクリスが置いて行ったベールを力強く抱きすくめるお姿に胸がいっぱいになった。

「仮面に隠れて」の一節でオルゴールの猿の右半分を隠すんだね、切ない。

 

 

全体として高井さんファントムが私の中では定型になっていて、それとは全く別物のファントムとして「よかった」と言えることがよかった。どちらもが高い水準で完成されていないと別物として楽しむという見方自体ができないんだなという事は直近感じた事だったので。高井さんファントムは虚勢を張り続け最後に一気に崩れる印象だったけれど、清水さんは常に不安定な状態で脆く危ういファントムだった。岩城さんもよい評判は耳にするのでぜひ拝見したい。

 

申し訳ないことにラウルへの注目度が薄すぎて、だいぶ偏った記録になってしまったな。吊り橋効果や幼馴染というアドバンテージではなく、ラウルを選ぶ理由が今回ちょっと明確にできなかったので、この辺りもう少し回数重ねて掘り下げたいなと。

 

あとウィキッドノートルダムにも共通して言えることで表面上は平等を唱える時代になってはいるけれど、表立つことが少なくなったり程度は違ったりはあるものの普遍的なリアルなのかもしれないなと。ただオペラ座が他演目と違うのはそこから救い出そうとする人や頼るべき人の不在という要素があり、どこをとっても報われないしだからといって幸福を願うこともないという「空虚さ」なのだと今回感じた。

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