あなたは私の中で

約10年ぶりのウィキッド東京公演。
今期は奇跡的に3回ものチケットを入手し、無事My楽を迎えたのでこちらに観劇記録を残しておく。

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エルファバは三井さん2回と小林さん1回。
お二人とも声の伸びやかさが本当に素晴らしいし、音域も無理がないから安心して聞ける。
10年前は結構キャストさん酷使されてるイメージあったから、二人体制とはいえこれだけのクオリティのものを安定してパフォーマンス出来ることは本当にすごい。
お二人の印象の違いで言うと、三井さんは演技はもちろん、セリフと歌詞の中の言葉の置き方一つ一つが丁寧ゆえ感情豊かなエルフィーだなと感じた。
the wizard〜での「魔法の技を′′全て″」とか、
対して小林さんはどちらかと言うとこれまでの抑圧経験からポーカーフェイスで、クールな印象。でも心を開いている相手、特にフィエロには積極的。as long as〜とかも富永さんとの色気がすごかったな。あと歌い方に時折濱田さんみが。


グリンダは中山さん2回と真瀬さん1回。
このお二人はぶりっ子と言っても全然方向性が違うなあと。
中山さんは根っからのいい子ちゃんで、ピュアで純真でまっすぐな(ある意味頑固な)。口窄めてるお顔が多いけれど、飾らずににかっと笑った時の可愛らしさがたまらない。なにより体張ってるし、上半身がムキムキでキャラとのギャップもあったり。気になったのは中音域(地声とファルセットの転換だと思う)が苦手そうだなと。三井さんエルフィーとのコンビでしか観てないけど、途端に声量が負けてしまう。高音域はもんのすごい安心して見られるんだけどね。
真瀬さんはお嬢様、周りが求めることを体現してきた、戦略的ぶりっ子ちゃんの面を強く感じる。popularでも間をうまく利用してシュールな笑いを取るタイプ。だから一幕よりも、二幕に民衆の期待や友人の失踪を背負った後の方が、演技の説得力がある。
これまでグリンダのイメージは中山さんに近しかったけれど、真瀬さんの演技を拝見するとそういう解釈もあるよなぁとまた新たな発見。


フィエロは富永さん2回、カイサーさん1回。
カイサーさんは佇まいがすでにどっかの国のおぼっちゃまって感じ。身のこなしも素敵だし。ただ役者さんか?と言われれば演者さんという側面が強かったかな、卒なくこなしているというか。音域は若干歌いづらそうに聞こえてしまったり(お疲れだったのかしら)。確かにフィエロはぱっと見の印象も大事だと思うんだけど、やはりエルフィーとグリンダの関係性を築くにあたってもキーパーソンには間違いないので、重みがあるとなおよし。

富永さんは初回台詞が棒読みに聞こえてしまったゆえ、歌でカバーされてたなという印象だったけれど、2回目に観た時には自然な掛け合いになっていた。
歌もアドリブ多めで四季にはあまりこれまでいないタイプかな、私は好き。感情が歌に乗っている感じがして。
そして改めて見るとフィエロってこんなにも大人なキャラクターだったけかと感じたのは富永さんだった。ライオンを持ち出した時の「わかってる」の優しげな口調、エルフィーのお見送り時にもグリンダのケアを忘れない心意気、婚約パーティーに驚きつつも私情を押し込みその場をやり過ごそうとする振る舞い、特にas lnong〜でエルフィーの腕を愛おしそうにさする仕草の色気が眩しかった。だからターザンロープのダサさ(褒めている)がより一層たまらないね。
まあカイサーさんも複数回見たら感じ方が違うかも知れなかったね。

一つ言えるのはみなさん特色があるし、私もキャストに拘らず見られる演目は構えず純粋に楽しめて嬉しい。


全体観、3時間の演目ながら物語の展開が意外に早いから、一度では理解が難しい。
最初こそ誰にでも愛嬌振り撒くおばかなグリンダをよく思わず、でもそのピュアな心に触れて時に取っ組み合いの喧嘩をして、それでも対話を重ねていくことで「良い魔女=民衆の希望として生きてほしい」と願い、託される二人の生き様にはグッとくるものがある。他人の言葉を受け入れること、の究極的な形が最後のシーンに詰まっている。
ニコニコして何でも聞き入れるだけが良い魔女ではない。全てを背負い、それを糧にしていくことができるのがグリンダという女性なのだと。

エルフィーについてはあれだけ他人から、家族から邪険にされても、それでも身近な大切な人を想う気持ちを持ち続ける(ドロシーから靴も回収しようとしたしね)真っ直ぐな人物。グリンダに出会ってから勇気を出してダンスホールに赴いてみたり、悪役を演じることを厭わなかったり、気持ちが外に向くようにはなったけれど、実は一貫して変わらない芯がありそこに惹かれたのがフィエロなのよね。姿を消す際にも心配をかけまいと、人差し指を口に当てながらグリンダに投げかける微笑みが切ない。
ここまで書くと、どちらかと言うと変わったのはやはりエルフィーよりもグリンダだなという結論に至る。

そしてある意味この二人は対話ができたという意味ではとても幸せな関係性で、実は一番不幸なのはボックじゃないか?と思う。ネッサを支えてほしいというグリンダの言葉に縛られ思いも告げられず、勘違いされたネッサに呪い殺されそうになり(勘違いさせたボックも悪いのでは論もあるけれど)、ブリキにされる。
最後のは命だけでも救った結果ではあるけれど、ボック主観で言えば納得できるはずもなく。

10年前はただの素敵な友情物語、と思ったけれど、歳を重ねると「物事を違う角度」で見られるようになるね。

 



そのほか色々気づいたことなど。

・曲がテンポ速めにアレンジされていたような。

・No one mourns 〜にて「誰にも愛されぬまま」「一人消えていくの」のフレーズは、グリンダが民衆に対して投げかけるけれど、民衆がその後続く歌詞では「一人死んでいった」と表現するのは、つまりグリンダはエルフィーが死んでないことを知っている、もしくは生きていることを願っているのではと。
実はグリンダはこの歌詞の中でエルフィーが死んだとは明言してないんだよね。

・これは感想なんだけど、1階3列センターに座った時には、DGでエルフィーに集められた光を最後浴びたのよ、なかなかの感動もんだった。

・一幕と二幕であんなにエルフィーのメイク様変わりしてるのね。演技も相まってだけれど、お二人とも冴えない学生から一気に大人の女性になって驚いた。

・一つ納得いかないのは母親の唯一の形見としてあの緑のお酒を持っているのはなかなかクレイジーじゃないか?

・帶津翔太さんというアンサンブルの方が一際目を引く身のこなし。コリコやられてると言うことなのでいつか見たいな。


これにて2023年の観劇終了。
ジーザスジャポネスク、ノートルダム、そしてウィキッドと相も変わらずヘビーな演目ばかりで毎度ぐったりだけれど、この幸福的疲労感をまた来年も味わいたい。