贖罪

ふと愛犬の写真や動画を見る。

まだ若々しくはつらつな頃、老いてもなお変わらぬ笑顔、死の直前。

彼がいなくなってからすぐの頃は、「愛犬に会いたい」という独りよがりな思いから涙したが、いつしかそれは「生きている間になぜもっとしてあげられなかったのだろう。」という後悔、悲嘆の情へと変わった。

当時の私は精神的に未熟で自分のことしか考えられなかった。そして、彼の不在後にここまでそれを引き摺るだろうなんて全く予想できていなかった。

どう言い訳しても動物と共に暮らすことの責任を軽んじていたとしか言いようがない。自分では認めたくないがそれが事実だ。

 

これは動物だけのみならず、家族もそうだ。そのうちしてあげられる、いつでも恩返しができるなんて悠長にしていると、私はまた「結局自分中心じゃないか」と後悔するのだろう。その時には同じことを繰り返したというさらなる罪を重ねて。

 

彼の死から大事なことを教えてもらった、で踏みとどまれればもう少し前を向けるのに、それを綺麗事にできない。綺麗事にすることを許せない。

 

だから今共にある命を出来うる限り大切に、後悔しないように慎重に暮らしている。それが過去の自分への戒めであり、償いなのだと日々感じる。

 

.

.

.

 

noteに移行してみたものの、いいね欲しさに記事書いている人ばかりで嫌になり離脱。

記録として残すだけ残しておこう。前のはてなはなんだか掃き溜め場みたいになっていてそれも嫌になってしまったんだけれど、紛れもなく自分の一部なのでこんなことなら退会しなければ良かったかな。