王様じゃない、同じただの男だ

ALWの音楽の中でも、とりわけジーザス・クライスト=スーパースターは秀逸だと思っていて、そんな演目のジャポネスクバージョンが10年ぶりに上演ということもあり大変心待ちにしておりました(チケット戦争を勝ち抜き3公演分無事ゲット)

実はエルサレムバージョンしか観たことがなく、まあ音楽もストーリーも同じだしなと若かりし頃の私はそれを侮っていたのですが、その恥ずかしさを思い知ることとなりました。
演出と演者さんの感想が入り混じってしまったけれど、どちらか片方だけでは語るにあまる濃密な舞台だった。

6/23 マチネ

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7/11 ソワレ

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7/15 マチネ

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【overture】
白装束を着た人たちが現れ、顔を隠して黒衣ならぬ白衣になる瞬間から舞台が始まる。研究生になったばかりのようで、足取りや表情に初々しさがありかわいかったな。

最初の一節早速和楽器の要素が加わり、この物語の奇妙さや不気味さをより演出しているように感じた。

ユダを筆頭に現れた群衆達は、カヤパ軍団達に追い払われるのだけれど、高井さんカヤパの追っ払い方が小動物の威嚇のようで笑ってしまった(先に言おう、高井さんの大ファンです)

ジャポネスクでは序曲で激しいダンスがあるのも印象的。どセンターの大森さん、ダンスも体型も美しく思わず目を奪われる。


【heaven on their minds】

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私の観劇満足度を高める要因として「安心してみられる・聞いていられること」というのは最重要項目で、佐久間さんは音域も広く特にこのロックミュージカルには声質もとてもよくあっていて、聞くたびに脳内で何かしらのポジティブな物質が分泌されるのを感じる。加えて佐久間さんが吹き込むユダ像も好きで、金森さん以来「この人は無くせない」と思っている。

佐久間さん語りはこの辺りにして、「いつもあなたのそばで」あたりからバックで鼓の音がよく聞こえてくるんだけど初回はかなり違和感があったものの、その滑稽さが、翻弄されるユダをよく表しているように感じた。

「天国を夢見すぎたのだ」の歌詞でジーザスではなく客席側を向く演出、好きなんだよね。ジーザスを見つめ理性的に、訴えるようにしていたユダが一瞬見せる、怒りの片鱗というか。

これは特に2回目で感じた部分なのだけれど、初回は2日目ということもあり肩の力も入っていたと思うんだけれども、回を追うごとにいい意味で削ぎ落とされて(無駄な演技があるとは思わないけれど)ユダの心情がよりシンプルに、ど直球に捉えられやすくなった気がしたんだ。


【what's the buzz?】
初回と2,3回目で随分歌い方が違うように聞こえた一曲。初回は静かに諭すジーザスでしたが、2,3回目は語気強めというか、少し熱を込めた歌い方だったというか。

自分の心を「誰一人分かってはいない」の一言は、つまり群衆だけでなく片腕として尽くしていたユダにも当てはまるわけで、自分の訴えが届かないこと以上にこの一言にショックを受けている様子がよくわかる。


【evrythings' alright】
神永さんってどちらかというと中低音域かなと思うので、この曲はフレーズこそ短いながら本当綺麗に聴かせてくれるなあと。個人的には高音の多い佐久間さんの中低音もたまらんポイントです。


【this jesus must die〜hosanna】

本命。初回は急遽のキャス変ゆえレアカヤパ(飯田さん)に遭遇しその貫禄に納得したわけだけれど、久しぶりにプリンシパルで高井さんを観られて私は幸せでした、、

あの小柄で細くて多少姿勢の悪い(笑)人からは想像もできない「やあ皆さん」の一声のギャップがたまらない。「とても冷静な男だ↓」「この様子じゃ暴動が起こる気をつけろ↓うるさいぞ」の低音も、そうそうこの深みと厚みにはまっていくんだよなあと怪人時代を懐かしく思いました。特に三回目は高井さん怒!の表現や音程に合わせて屈伸運動しちゃうのが可愛らしくて、ジーザスの死を企む恐ろしい曲なのにコミカルに聞こえるというか小物感が面白かった(飯田さんの時はそんなふうに聞こえなかったのにな)
あと真田さん司祭、ジャポネスクの衣装だとさらにスタイルの良さが際立ちますね。昔から司祭好きなんだけれども、なかなか他の演目でお見かけすることがなく残念。


【simon zealotes】

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笛のトレモロが印象的な始まり。
そして本城さんシモンよ、どこまで伸びるんだいその声は。見るたびにその圧倒的パワーに魅了されちゃって、むしろなんでジャファー?!勿体無い!!とすら思う。いや、それも素敵なんだけれども。
今年も「呪わせてくださいローマを↑」と、最後の「永久の栄光と」のアドリブが聞けて大変満足しました。もう他の人のシモンで満足できる気がしないし、特にこの曲は海外版よりも四季版が好き。

 

【the temple】
三回目にして気づいたのだけれど、司祭さん達もお買い物したり商人したりしてるのね。

あとこのシーンで印象的だったのは、基本的に大八車より手前もしくはその上でストーリーが進むのだけれど、ジーザスがこの状態に気づくのは大八車より奥ということ(一階席で観た時には気づかなかったくらい)
勿論舞台上ではあるけれど、素の青年ジーザスと皆を率いるジーザスの境界線を感じる演出。
三回目観劇時はシャウトが尺八の音のように聞こえる瞬間があり、神永さんジーザスのジャポネスクとの相性の良さを感じた。


【I don't know how to love him】
江畑さんマリアは初回と3回目では随分印象が変わった。
そもそも地声系のマリアは今回が初めてだったので、最初こそ違和感の方が優ってしまったのと、私別に我の強いマリアが見たいわけではないのよ(史実はともかく、海外版もちょっと苦手)という思いもあり、腑に落ちなかった。
でも2,3回目で観たマリアは自分の身分や生い立ちを恥じる劣等感と、それでも自分は彼にそうしてあげたいのだという意思を持ち合わせているのが垣間見えて、ああこれが母性かと妙に納得した。


【damned for all time/blood money】

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摺り足で大八車の作る道を来るユダ。
妙にぎこちないその動きが、むしろユダの心情を引き立てたり。最後の位置に来ると、大きく息を吐くんですよね。
このあと二回繰り返される音楽のうち、1度目は何か抵抗するような、身を守るような素振りを見せるんだけれど、2度目は抗うほかない「諦めるという覚悟」を決めているように見える。

大八車に仁王立ちで現れるカヤパ軍団の威厳よ。訴えかけるユダには一瞥もくれない冷酷さ。
「たった一人で彼がいる時、兵を差し向けて捕らえたい」という一言を聞き酷く動揺を見せる佐久間さんユダの表情が良かった。

そう言えばカヤパ軍団も、海外版に比べると冷静で冷酷、謂わば日本的な悪だなと思う。
文字通り背中は押すけれど強制しない(自ら銀貨をとりに行くよう仕向ける)、責任は負わないというスタンスがまさに日本っぽい。
そして銀貨を受け取った後の表情よ。ジャポネスクが初めてだったのも勿論あるけれど、JCS自体1階席で見るのも初めて。葛藤と苦悩に満ちた表情が、隈取によりさらに強調されて、ゾッとした。
銀貨を受け取った後のユダの口ぶりは生気を失った亡霊のようだった。カヤパ様とアンナスが顔を見合わせて頷くところ、好きなんだよなあ。いかにも「息合わせました」って感じがしてちょっと可愛い。


【the last supper】
これはすごいなと思ったポイントなのですが、前のシーンで暗転してすぐ使徒達が大八車に乗り、さも今までもそこにいたような雰囲気で曲が始まる瞬間にグッときます。
5拍子・6拍子の歪なリズムがこんなにしっくり来る曲は他にあろうかね。
「思った通りにここを出ていくのだ」というジーザスの言葉を受け、二回目の「苦しみも辛さも皆」の間に、あれだけこの選択を悩み苦しみ絶望すらしたユダの感情が、一気に軽蔑へとどす黒く染まるさまがわかりゾッとした。お金を受け取ったことを悟られてそれを恥じたにもかかわらず、染まり切ったあとのユダは銀貨を見せびらかすかの如くジーザスに突きつけるのである。


【gethsemane】
基本的にミュージカル、特に好きなキャストさんはキャス変したてで観たい・聞きたいのだけれど、この演目、とりわけこの曲については初回よりも3回目の方が断然良かったと感じる。神永さんの負担は図るにあまりあるし、やはり後半に連れて音のぶら下がりももちろんあるのだけれど、そんな事がとても気にならないくらいには最後のゲッセマネは本当に良かった。

「見てくれ私の死に様」のロングートン、神永さんはこれまで完走しないイメージ(芝さんの時はしてたかも)だったので、前楽二回公演日のマチネでまさかそんなものが観られるなんて全く予想していなくて、息をするのを忘れた。まだ残すところ二公演もあるのに、全身全霊で演じる、、いや憑依しきっているその気概に、ぬるま湯OLはひれ伏した。

その後の「身も心も疲れ果てた」の一節もやはり後半に向けて説得力を増すね。拍手を送ることでしか思いを伝える方法がなくもどかしいくらいによい一曲だった。

 

【the arrest】
「奴は...あそこにいます」という間の置き方や、ジーザスにキスをした後のもどかしげな右手が、ユダの躊躇いを感じさせる。
佐久間さんノートルダムの時も思ったのだけれど、間の置き方が秀逸だよね、「今は君たちと同じ...逸れものだ」の言い回しが好きで他の人だと物足りないくらい。
「ユダ、見捨てるのかお前は」は彼を責めるというよりは弱音を誰かに吐きたかったというジーザスの青年らしさがよく表れている一言だと思う。

そういえばペテロは初めてお目にかかる方で、音域はそこまで高い方じゃないかなと思ったけれど、声質は優しめ(なんとなく飯田さんっぽい)なので、音域の合う役柄でハマるといいなあと。姿勢が悪いのが気になっちゃった。ペテロは五十嵐春さんで止まっている気がする。


【pilate and chirst】
特筆すべきことはそんなにないけれど、村さんピラトはどこからそんな声が出るんでしょう。
失礼ながらカンパニー最年長ではと思うので、いつまでも変わらぬお声で尊敬する。


【king herod's song】

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何の前知識もなかったので、何で阿久津さんから大森さんに若返ったのかしらと思っていましたが、そういうことね。
登場の瞬間から呆気に取られました、完敗です。その筋肉美もさることながら、佇まい、所作、扇子捌きの美しいことはまさに優雅な王。侍女が女方というのもなかなか個性的ね。最初は腰紐をタガーのように振り回していましたが、2,3回目では出会えませんでした(何か言われたのかな 笑)
ヘロデの隈取は赤なのだけれど、よく考えたら頭は青だし、結果的にジーザスに対して政治的な思惑は何もなかったという意味では「中立」なのかなという解釈。


【juda's death】
大八車斜面に乗って登場するシーンがかっこいい。この曲丸ごとを地声で乗り切る佐久間さんの喉の強さと表現力に毎回圧倒される。特に「落ちて落ちて地獄へ」「どうして愛したのか」は悲痛の叫びとなって静寂の中に響く。

この曲に限ったことではないけれど、この演目って演者さんが考えて動かすよりも先に、その感情が体を突き動かす感じがしている。震える手で「彼はただの人」なんだと訴えたり、ゲッセマネでも「いいだろう死のう、見てくれ死に様」あたりも体が演技というよりは曲や叫びに伴って自然と動いている感じがする。
本当に憑依しているんだなと。

エルサレムでは蟻地獄のように吸い込まれていく演出も、ジャポネスクでは大八車の斜面から引きずり込まれていく演出に。


【trial before pilate】
ここの村さんピラト→高井治さんカヤパのリレーが贅沢。

「それが任務。勤めなのだ。平和のためなのだ」と群衆に迫られ、背後にはカヤパ達が静かにその動向を見守る図が、板挟みになるピラトの心情をよく表している(高井さん一休みっぽくするの座るのやめて)

あと鞭打ちの方、とても上手ね。曲に合わせられない方もいる中、きちんと拍に合わせて鞭を捌いていたのが印象的、、って何を観てるのよ。

ピラトの隈取は青なんだけれど、最初こそジーザスを助けようとしていたものの、口を開かないジーザスと群衆・ピラトの圧力に屈して自らの意思で死を命じたからかな。結局は群集心理に染まった一人でもあったということ。

 

【superstar】

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細身に見えるけれど、上裸だと意外とガッチリしているのだなあと。

とにかくこの曲を歌いこなしていて最高、の一言に尽きる。佐久間さん流のアドリブも随所にあって幾つか好きなポイントあげると、こんな感じ。
「考えを↑知りたいだけさ」※2回目の最後のフレーズ
ジーザああああああああス!」
「気を悪くしないでくれ↑よ」

最後の「ジーザス!!」はエルサレムだときちんとポーズ決めて暗転するのだけれど、ジャポネスクでは最後の一番盛り上がる部分で上昇し姿が消えるというところが、あの曲を盛り上げすぎないというか、十字架のシーンに自然と繋がるよう釘を刺している感じがする。

いばらの冠はユダから手渡されるのね。この演出も皮肉が効いているな。


十字架のシーンは何度観てもその気迫に圧倒される。一度は気を失うジーザスだけれど最後の命の灯火を振り絞るシーンは寄り目をしているのよね。最初はもう意識が混沌としているからかな?と思ったけれど、よくよく考えたらあれは歌舞伎の睨みではないかなと。


ざっと気づいたのはこんなかんじ。キャストの方々の身体的・精神的疲労を思うとやはり易々とできる演目ではないと思うのだけれど、千秋楽が近づくに連れその疲労感が舞台の熱量を底上げしているようにすら感じられて、圧巻でした。

10年ぶりにジャポネスクをやってくれて、そして今このキャストで舞台を観られたことに感謝します